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●呉は大和ミュージアム2008/07/19
     呉と言えば軍港として有名であります。兵器や基地の見て歩きとしては他にも色々あるわけですが、その中でも近年オープンした大和ミュージアムは有名でしょう。私はJRで行きましたが、JR呉駅は北側にしか改札口がありませんが、そこからは右に向くと大和ミュージアムへの案内の看板が続いており、道に迷うことはありません。最後に大和ミュージアムWebページを加えておきますので参照してください。
     さて、大和ミュージアムの館内はと言いますと、大和の事よりもむしろ、呉市の成り立ちや海軍の軍港としての成り立ちについて多くが裂かれています。この辺はあまり興味もなくまじまじと見ていると時間を取られるので割愛しました。
     また、3階の「船をつくる技術」展示室と「未来へ」展示室も割愛しました。(松本零士先生ごめんなさい。)

     これが大和ミュージアム全景です。

     ミュージアムの正面から左には、戦艦長門の同型艦の戦艦陸奥の装具が置かれています。右写真は主砲です。嵐山美術館にあったものと同じものでしょうか?。

     陸奥の舵です。嵐山美術館にあったものと同じだと思うのに軸が短くなっています。置き場所の違いによるものか嵐山のよりも小さく感じます。

     陸奥のスクリューです。意外と小さい印象です。

     大和ミュージアム入り口付近大和ひろばにある戦艦大和1/10模型です。

     大和、探照灯です。

     大和 12.7センチ高角砲薬莢です。

     大和 伝声管と消火筒先です。

     大和 15.5センチ副砲砲口栓

     大和 25ミリ機銃薬莢です。

     大型展示室に移りまして。
    手前が二式魚雷です。奥が八八式三型潜望鏡です。

     人間魚雷「回天」10型試作型です。

     他のところでも書いていますが、日本の特攻は戦争を終わらせるための儀式の一環である事がぬぐえません。と、言うのも特攻をする時点ですでに戦争に勝てる見込みはなく行われているわけで、さりとて日本国内の中枢部で降伏を受け入れるまでの合意がなされたわけでもないわけで、ここまで頑張ったんだから負けても良いじゃないのと言う考えで始まったのではと思われます。
     実際、日本が無条件降伏をして日本本土は略奪等はあまりなく済んでいますが、ソ連の侵攻してきた中国東北部では、日本軍の捕虜を強制労働させるは、工場にある機械を略奪するは、色々あるようです。それを見ると、やはり軽々しく降伏してればよかったのだと言うことも当時としては難しかったのではないかと想像されます。
     また、私が言うのはおこがましいのですが、特攻を含め戦争で亡くなった犠牲的精神は決して無駄ではなく日本がそして日本人が決意したときにはどの様な事になるかを知らしめるという重要な役に立っていると言えるのではないかと思うのです。
     何にしても、我々が再びあのような苦しい経験にあわないように対処できる体制を整えておくことが必要ではないかと考えるところです。

     特殊潜航艇「海龍」です。

     零式艦上戦闘機62型です。

     一等巡洋艦「青葉」20センチ主砲です。

     左が大和型46センチ九一式徹甲弾です。
     右が大和型46センチ三式弾です。

     長門型41センチ九一式徹甲弾です。

     36センチ九一式徹甲弾 火薬罐です。



大和ミュージアム
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